「佐倉城」攻略

日本100名城の1つ、20番目の佐倉城についてまとめます。戦国の城から姿を変え、江戸時代には東を守る要として幕府を支え、明治時代には旧陸軍の営所や病院が置かれた「城」です。この城に関して内容と妄想の一部を紹介します。個人的な考察のため、悪しからず。なお、この城の詳細な歴史に関しては他のサイトでも紹介されているため、ここでは触れません。

場所

佐倉城は千葉県佐倉市佐倉駅」から徒歩20分くらいの場所にあります。駅からは少し高い位置に城跡を残す公園(佐倉城址公園)があります。詳細は佐倉市公式ウェブサイトにて。

参考ですが、私はこの佐倉城を攻略後、本佐倉城へ向かいました。降りた駅とは異なり、京成佐倉駅へ歩いていけばそこから京成本線本佐倉城の最寄り駅「大佐倉駅」に到着します。頑張れば、この2つの城は1日で回れます。

要所としての貫禄を残す

佐倉駅から坂を上ると大きくまっすぐ伸びた道があります。その先は、佐倉城。築城時からあるかはわかりませんが、この一本道を通ると、少し緊張しながら城に参上する気分になります。城内には、堀や土塁など城郭としての設備は残されているだけではなく、明治の名残も見ることができます。

大きくつくられた設備

現地の看板に書かれたものをみると、佐倉城は戦国中期の鹿島氏によって築城されたという城。その姿は江戸初期、土井利勝によって変えられました。近世城郭として今に姿を残します。

その中には大きな堀、大きな馬出。堀の深さは当時よりも浅くなっているでしょうが、立派なものがあります。南東の三の門付近で壁のように伸び、攻めにくい作りをしています。

北側にある椎木門には大きな馬出があります。現在は復元されたものですが、当時も写真のようなきっちりとした角馬出だったのでしょう。この城の威厳をここに感じます。

因みに徳川家康は鷹狩りの際に、佐倉城で宿泊したと記録があります。やはり椎木門から入城したのでしょうか。そもそもそのころにはこの馬出はあったのか?入城する姿を想像してしまいます。

攻めるなら東か北

天守がある西側には、東や北から見ただけではわからない崖があります。私が攻略する際には、台風の影響か入ることができませんでしたが、本丸に入る手前におりる階段があります。この先には曲輪があったらしい。下からは上りにくいでしょう。

佐倉城は、まさに東から攻められるのを待つかのような場所にあります。東と北のどちらからも言えることは、城内はほぼ平坦であることです。戦国時代の作りはどうだったのか。城の図を見ていると各門のあたりがポイントで、特に三の門、三の丸のあたりが要と思います。

所感

見た印象は「威厳のある城」。石垣はありませんが、江戸城を彷彿とさせる近代城郭です。要所だったことも頷けます。改修前はどうだったかわかりませんが、堀の配置や道の作りなどの形はシンプルに感じるし、分かりやすいです。

現在は公園として残っていますが、天守跡には桜の木が多く植えられています。春には非常にきれいな場所になっているでしょう。公園内は広いため、花見の場所取りもしやすいのかも。

 ぜひ佐倉城に行ってみてください!